2016年6月23日木曜日



世界最古!?のルウンペ(木綿衣)

先日、釧路市立博物館所蔵のアイヌ民族木綿衣が
アイヌ民族の衣服では世界最古級である可能性が高いとの記事が。
現在ロシアの博物館所蔵の世界最古とされる二点と
幾つもの点で類似し、同じ時代に同じ地域で制作された可能性が高いのでは?と。

木綿衣について(特に染や織について)色々書かれていて
とても興味の有る記事内容だったので、うちに有る本や資料を出して来たり、
思い出したりしつつ私も少し調べて書いてみました(^_^)




☆まず、アイヌの人達の衣服に使われていた素材の種類として
    古くから用いられた順で三つに区分できると思います。

・動物衣(獣皮衣)最も古くから着ていたと思われる、動物の毛皮など
・植物衣(樹皮衣)オヒョウ(ニレの木)の内皮で糸を作り織った、アツシ織
    (草皮衣)イラクサの繊維で糸を作り織った
・木綿衣     本州から入って来たもの(交易等で手に入れた木綿布)で仕立てた


☆続いて、植物衣と木綿衣について。その作り方、形に等による呼び名別の分類。

・アツシ   〜オヒョウの繊維(糸)で織ったもの
・カパラミプ 〜広幅の白い布を文様に多く使ったものなので比較的新しい
・チヂリ   〜刺繍文様だけのもの
・チカルカルペ〜縞や花柄の真岡木綿のもの、仕立て済みの和服に刺繍したもの等
・ルウンペ  〜最も手の込んだ切り伏せや刺繍が施された木綿衣


☆更に、ルウンペの特徴をもう少し…。

・絹の裂(キレ※古布の断片)などを細いテープ状にして、衣服に縫い付け
 それで模様を作る、切り伏せ縫い(布)が施されている。
  ※切り伏せ(文様の形に切り抜いて衣服に縫い付ける、アップリケの様なもの)
 古い物になると刺草(イラクサ)やオヒョウの糸でそれを縫い付けている。

・襠(まち)がある衣服は、虻田、有珠(噴火湾に面した地域他)地域の特徴。
  ※ 襠(衣服の幅にゆとりを持たせるため脇などに布を補う造り)


☆ではでは…、同時期・同地域で制作の可能性として、ロシアの二点との類似点とは。

1. が三点とも有り、その寸法も類似

2. 三点とも藍染め木綿地仕立てに、五つ紋が白く染め抜き

3. 切り伏せ布には、摺り匹田という染め模様が施された文綸子を使用
 (なんだか難しい用語が出て来たので少し説明しながら続けます^_^)

 ?摺り匹田(すりひった)とは?

 摺り〜型紙を使って染料を刷り(摺り)込む技法
 匹田〜絞り染めの一種で、
    鹿の子絞り(かのこ ※鹿の背中の斑点のような模様)を模した型染め。
    江戸時代前期、贅沢な手絞り染めである鹿の子絞りが禁止されたことに伴い、
    この摺り技法が発展。

 ?文綸子(もんりんす)とは?

 文(もん):文様(模様)のこと

 綸子(りんず)の特徴:
 糸〜生糸(撚りのかかっていない精錬していない絹糸)を使い、
   織り上がってから精錬(せいれん)して染める後練り織物
    ※精錬(アルカリの灰汁などで絹表面のセリシンを少し落として、糸を柔らかくし光沢を出す事)
 
 織り方〜平織りよりも(経緯共に一本ずつ交互に糸が交差するのが平織り)、
     浮き糸(糸が飛ぶ)が多い織り方。
     裏と表で経緯反対の浮き目になり、それで地模様を織り出す。
     平織りよりも糸が多く飛ぶ(織り目を飛ばす)とどうなるかというと、
     糸同士の交差する点が少なくなり、糸の面が多く布の表面に見えるので、
     平織りの布より、布に光沢が出て、柔らかく滑らかな布となる。
     また、模様が浮き出て地紋との陰影で美しく見える。
     (こんな説明で解るかなぁ...)


4. 小袖の裏地だったとみられる紅絹も使われている

 ?紅絹(もみ)とは?

 ウコンで下染めしてベニバナで上染めして仕上げた赤い絹の平織物。
 花を揉んで染めることから「もみ」と言うらしい。
 紅絹は和服の胴裏に使われていた。


5. ロシアの木綿衣二点と同時に収集された品「刀懸け布」(エムシアツ)の
  飾り布に、絞り染め「辻が花」の断片が使用されていた。

 ?辻が花(つじがはな)とは?
  
 縫締絞(ぬいしめしぼり)絞り染めの一種。
 絹布を麻糸や木綿糸で縫って防染する絞り技法。
 染料が入らないように縫い締め、絞りあげて、防染してから染料に浸す。
 防染された部分は白いまま染まらず、紋様が浮かび上がる。
 花や葉などといった模様の色ごとに絞り染める、多色染めが「辻が花染め」。
 制作年代は、十五世紀後半、室町、安土桃山(江戸初期)時代でしたが、
 友禅染の出現〜発達で、複雑な技法の辻が花は姿を消して行ったようです。


6. ロシアの二点は、十八世紀初頭に収集された



そんな訳で、十六世紀後半(室町後期、安土桃山)〜十七世紀初頭(江戸初期)頃に、
この木綿衣の制作年代が遡るのでは?との事。

ロシアの二点は十八世紀初頭に収集されているけれど、生地の劣化具合等からみて
既に百年程経過したものが収集されたのではとの事。十七世紀初頭(江戸初期)。

今、私達が見ると、ぼろぼろに劣化していると見えますが、
これだけの長い年月を経たにも関わらず、この程度の劣化だけで残っているという事は、
布(衣服、繊維)の性質から考えると、実はとても凄い事だと思います。

・織物は傷みやすく保存が難しいです。
・平安時代の衣服は劣化が激しく残っていないと言います。
・鎌倉時代に綸子の織物が輸入されたということです。
・木綿衣(藍染めの)は江戸時代にアイヌの人達に伝わった。
 (藍染めは虫除け、虫食い予防のため=本州からと推測できる)
  (蝦夷(北海道)で木綿栽培はなかった、藍染め本来の役割的に考えても本州からと推測)

また、アイヌの人達のこの木綿衣が、劣化した状態でも保存されていたという事は
当時、この地域では木綿布は貴重だった事や、ルウンペはアイヌ民族の衣服の中でも、
最も手の込んだ造りの物とされている事からも解るように
普段着ではなく、儀式など特別な時に着るもの(晴れ着)として
使用頻度が少なく大切に扱われていたから、ではないかと。
(普段着ならもっと劣化してしまう)

アイヌの人達は文字で伝える記録がないので、
木綿衣から推定出来る材料を探さなくてはならないですね…。

ちなみに一見、一番簡単に地域や制作者などを見分けられそう…と思うのは、
切り伏せ布の図案です。これには魔除け(魔除け説は違うと言う見解有)
男女の違いなど、色々な意味があるみたいですが、
ぱっと見て誰でも真似出来たりするため、意味もなく真似してしまう事もあり得る。
模様(図案のデザイン)だけが一人歩きしてしまう事も有るとか。
だからこれだけで、区別するのは案外難しそうです。

使われている糸の原料やその加工方法(撚糸や精錬)、
施された様々な織や染の技法を辿って行くと、
いつ、どこで、どんな風に作られ、使われていたのか…
少しずつ断片的にでも情報が見えて来ます。それらを繋ぎ合わせ
調べたり想像したりするのは本当に面白いですし、とても興味が有ります。
疑問の中から、また調べ、そして新しい発見へ…と広がって行きます。


ここに書いたのは、下記の資料を参考にさせていただきました。
それ以外は、自分で今まで調べたりした中から書いているので
染めや織に関する箇所などで、不確かな部分があるかもしれません。
もし間違えなどありましたら、ご教授ください。

参考:北海道新聞 6/20 椎名宏智氏 記事
   月刊みんぱく
   写真、他「アイヌ文化に学ぶ」
   (児玉マリ氏 北海道大学名誉教授 故 児玉作左衛門氏)