2016年4月3日日曜日


 - 冬休みに本を読んだりしていると
やっぱり私は学者などという大それたものにはなれないし
なろうとするには遅過ぎるということをひしひしと感じます。 
でも私の生涯というのは
このように気の多い支離滅裂なことで終わってしまうのでしょう。
一本の線のような人生を送るには
私は好奇心が強過ぎるのだと思います。
dilettanteという言葉が突き刺さるように痛いのですけれど
なにかそれは、責任逃れのような生き方ではないのかとも思えて -
- 須賀敦子 書簡からの抜粋 -

自分の痛い所、目を逸らさず鋭く(厳しく)見透かすような表現が
こちらの心にも直球で突き刺さってくる。
須賀さんの様な方が dilettante をそう受け取るのか、と…

向田邦子さんの一文にも同じ感覚になった事があったなと。
(確か…失くした手袋を探し続けるような性格である...という様な話)


- 偶然は必然である -
過去が現在の原因であるように
未来に何かが起こるには
今この瞬間が原因となる

- ささやかな幸せに感動はあるか -
安定を求めすぎれば偶然性を排除する事になる
しかし偶然の出会いこそが
人生のかけがえのない喜びでありスリルである
- F. W. Nietzsche -


気怠い空気が漂っていている、雨の日曜
古時計が気まぐれに時を刻む音と共に
様々な言葉が思い出され頭の中を通り過ぎて行きます。

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